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Monthly Archives: 11月 2014

【連載シリーズ其の2】 なぜ、仙人堂わき水コーヒーに行列ができるのか

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↑イラスト 滝谷節雄


―旅のキーポイントは、あの頃を思いおこさせる演出が大切だ―
なぜ、仙人堂わき水コーヒーに行列ができるのか

連載シリーズその2
「芭蕉とコーヒーの推理 ―わき水でリッチに飲んだ―」

人との出会い、時の流れは人生を大きく変えることがあります。
大学時代、東洋一のチェーン店を誇る喫茶店「マイアミ」でのドアボーイから始まったコーヒーとの出会い。それから2年後、チューインガム・チョコレートの「ロッテ」に入社した私は、28歳のとき脱サラし、最上川船下り義経ロマン観光を経営。
観光コースの中にある船でしか行けない、仙人堂での名古屋のある人との出会い(平成元年)が最上川に訪れる多くの人々に、ロマンを膨らませようとはその時は思ってもいませんでした。

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「松尾芭蕉は果たして仙人堂でわき水コーヒーを飲んだのだろうか・・・?」

1989年から3年間、毎日仙人堂の整備に当たっていた私は、なぜか仕事の合間にコーヒーを飲みたくなったものでした。それもひきたてコーヒーです。仙人堂前でその歴史を説明している時でした。
ある人から堂内にあるすりこぎのような物はなんですかと聞かれたのです。 私はとっさに答えました。「芭蕉が持ってきた、コーヒー豆をすり鉢に入れてすりこぎで細かく砕いた時のすりこぎです」その人は何のためらいも無く納得したといった様子でした。
なぜ私がそう説明できたのか、今でも不思議でなりません。仙人堂の歴史を復活させたことで、感謝した芭蕉が私にそう言わせたのかもしれません。
説明したことが本当かどうか気になり、その夜スーパーからすり鉢とすりこぎを購入し、コーヒー豆を砕いて見ました。確かに砕けるではないですか。それは粗びきコーヒーでした。芭蕉は粗く砕いたコーヒー豆を3回ほど繰り返し煮出し、その上澄みを飲むトルコ式で飲んだのではと推理しました。

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ですが、果たして私の推理が時代的に合っているでしょうか?

※次回その3をお楽しみに!

最上川船下り義経ロマン観光
芳賀由也

なぜ仙人堂にこれほどまでに執着するのか

―旅のキーポイントは、あの頃を思いおこさせる演出が大切だ―
連載シリーズその1

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私は、平成26年(2014)年末まで船上でマイクを持って60分のガイドを4万回達成しました。

仙人堂の歴史を蘇らせようと1本の鍬を持って雑草の中に飛び込んていく前(平成元年前)までは船上で、次のように案内をしていました。
「左手をご覧下さい。源義経の従者常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)が800年前建設した仙人堂です。 そして、NHK大河ドラマ「義経」(昭和41年)でもナレーションで紹介されました。芭蕉の旅は義経の足跡を訪ねる旅でもありました。また芭蕉の紀行文「奥の細道」にも紹介されています。」


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だが、私の頭の中には、なぜ船から降りて参拝できないのかといつも疑問を持ちながらの説明でした。
そんな時、ある新聞報道が目に入ったのです。

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もう一方の舟下り会社が最初に行っていたのですが、仙人堂に上陸すると乗客の回転が悪くなるということで、寄港をやめてしまったとの報道でした。
戸沢村が昭和49年50年に約700万円をかけて造成したにも関わらず、活用されていないということを新聞を見て知りました。そして、戸沢村と観光協会からなんとかやってくれと(ボランティア)と強い要請があり、平成元年の「奥の細道紀行300年」から整備すると決断したのです。

だが、それから辛い日々が続いていったのでした。

※シリーズその2をご覧下さい。

最上川船下り義経ロマン観光
芳賀由也

【連載シリーズ其の1】 なぜ、仙人堂わき水コーヒーに行列ができるのか

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― 旅はあの頃を思い起こさせる演出がキーポイント ―

連載 シリーズその1


私とコーヒーの出会いは、大学2年の時、新宿歌舞伎町コマ劇場の近くにあった喫茶店「マイアミ」での深夜アルバイトからでした。


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森進一のデビュー曲「女のためいき」がよく耳にし、そして、店内はビートルズの「イエスタディ」や「ガール」が流れていました。

今思えば、仙人堂のわき水コーヒーの誕生は、荒れ果てていた仙人堂周辺の竹やぶを切り開き、花を植え、大自然の中でのリヤカーコーヒーショップからでした。

おそらく世界で「リヤカーコーヒーショップ」の1号店は、ここ仙人堂に思えてなりません。ちなみに世界で最初のカフェは、パリの「カフェ・プロコプ」(1686年)でした。


喫茶店での私の仕事は、ドアボーイでした。ドアを開ける時の頭を下げる角度、いらっしゃいませの発声など、マスターから何度も注意されながら一人前になっていきました。 また、大学教授から時間が空いている時は、社会勉強のためのアルバイトが後で役に立つと教えられたものでした。

こうした過程を経て、今、全国的に有名になった行列のできるわき水コーヒーになろうとは、、、
その時は、知るよしもありませんでした。
そして「芭蕉もわき水コーヒーを飲んだのでは・・・」というキャッチフレーズは、夢とロマンを膨らませ日頃の疲れを癒してくれます。


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次回!その2をお楽しみに!

最上川船下り義経ロマン観光
芳賀由也

テレビ番組「兼高かおる世界の旅」の憧れの兼高かおるさんとの出会いは仙人堂から

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31年間160ヵ国を巡り、日本全国のお茶の間を魅了し続けてきたテレビ番組、「兼高かおる世界の旅」。
私はいつも母と一緒にテレビの前で世界旅行を夢見ていました。

27歳の時でした。兼高かおるさんに憧れ、私は会社から特別休暇を頂き、ついに30日間世界一周の旅に出たのです。 それから20数年の時を経て兼高かおるさんから仙人堂に行ってみたいという電話が自宅に入ったのです。まさかと思いました。夢ではありませんでした。

ちょうど山形さくらんぼが色付き始めた頃でした。
まさかと信じられない思いで、一瞬戸惑ったことを忘れることはできません。 あの兼高かおるさんが仙人堂に来られると考えただけで、心が何度も震えました。

DSC00102 以来、兼高かおるさんに多くのご指導を頂くまでになりました。「情報を発信することの大切さ」「まず行動してみること」「あるものをどう活用するか」どれをとっても私の考え方に大きな影響を与えています。
その後、私が送った「やまがた雛のみち」の山形新聞の記事がきっかけで「横浜人形の家」(館長 兼高かおる)主催のお雛様ツアーが催され各地のお雛様を見に歩きました。山形県内はもちろん、九州、飛騨高山、信州、越後の雛祭りにご一緒し、人形について多くのことを教えていただきました。

DSC00103 世界中を見続けている兼高かおるさんと山形県内の旅を含めて日本の旅を 六十日以上もご一緒しております。
最近もそうですが、まさに世界中をご一緒に旅しているような思いです。 仙人堂には3回来られています。
「仙人堂の縁結び力」は、やはり、不可能を可能にしてくれると言っても過言ではありません。


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H9.2.22 山形新聞 やまがたひな雛のみちを送った記事


最上川船下り義経ロマン観光
芳賀由也

最上川特産から山形さくらんぼ・ラ・フランスのご注文のご案内について

最上川特産は、私、芳賀由也(最上川舟下り義経ロマン観光社長)が経営しております。
全国のお客様にさくらんぼをお届けして30年(2015年)になります。
顧客も約10万人様で多くの方にご利用頂いております。


この期間だけの感謝特別商品もご案内いたします。
平成26年12月31日まで/限定300名様 品質保証ご安心下さい。



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最上川船下り義経ロマン観光
芳賀由也

雪見船の季節になりました。

弊社、最上川義経ロマン観光は、37年前、札幌の雪まつりを ヒントに「最上川 雪見船」をスタートしました。

最上川の墨絵の様な水墨画の世界を見て頂きたいという 一心でした。

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当初は、「芳賀さん、誰が寒い冬に来る(観光客)ものか」と言われ続けました。
ですが、連日関西方面から蔵王の樹氷と一緒のコースで冬の最上川は賑わいました。
飛行機もYS11(プロペラ機)から約165人乗りのDC9スーパージェット機が臨時運航から
定期便に、全国にも克雪キャンペーンとして最上川雪見船から広がっていきました。


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そして、今、台湾などの諸外国からのツアーからも
大勢訪れるようになりました。

最上川船下り義経ロマン観光
芳賀由也