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Monthly Archives: 12月 2014

なぜ仙人堂にこれほどまでに執着するのか 其の6

―旅のキーポイントは、あの頃を思い起こさせる演出が大切だ。―
連載シリーズその6「芭蕉が詠んだ紅花を咲かせたかった」


芭蕉は紅花を俳句に表しました。
「まゆはきを俤にして紅粉の花」 紅花こそ仙人堂に相応しい花と思うようになりました。
ところが、花に詳しい人から紅花は難しいと言われていましたが、 チャレンジしてみました。
それは、本当に難しい作業でした。


種まきからを苗を間びく作業 DSC00088







倒れない様に杭を立てる作業 DSC00089







紅花と遊ぶ DSC00090







紅花と記念撮影 DSC00091







紅花の側でバーベキュー DSC00387







辛い作業でしたが写真のように旅人が紅花と一緒に写真を撮り、 微笑ましい様子を見ると今までの疲れが一気に吹き飛んでいきました。
だが、素人の私たちにとって余りにも大変な仕事のため1年だけで終わってしまいました。

※船の本業の仕事の合間の花を咲かせるということは厳しいものがありました
 が、仙人堂のイメージになるのではと「紫陽花」植樹にチャレンジしていき
 ました。
 次回連載シリーズその7をお楽しみに!

最上川船下り義経ロマン観光
芳賀由也

なぜ仙人堂にこれほどまでに執着するのか 其の5

―旅のキーポイントは、あの頃を思い起こさせる演出が大切だ。―

連載シリーズその5「花を咲かせたらどんなにすばらしいだろうか」


大自然の中にチューリップを咲かせたら新緑とのコントラストは、見事ではないかと考え、球根を大量に購入し、作業に取り掛かりました。

1年、2年目は見事に咲き乱れ、目を疑ったものでした
だが、3年目からネズミやモグラに球根を荒らされ、咲く花はわずかでした。
土の中に金網を埋め、その中に球根を植えたもののやはり効果は薄く、ネズミの餌になるだけで、 結局、チューリップは大自然の中に咲かせることは難しいと知り、諦めました。

だが、後でプラスになっていく原動力となっていったのです。

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※芭蕉が詠んだ紅花にチャレンジしたが、、、
 次回連載シリーズその6をお楽しみに!

最上川船下り義経ロマン観光
芳賀由也

【連載シリーズ其の5】 なぜ仙人堂わき水コーヒーに行列ができるのか

連載シリーズ5 「仙人堂のわき水は、26項目の水質検査に合格している」

仙人堂わき水コーヒーの話題が多くの人に耳にするようになると、一部の人が妬みというのだろうか。
水の検査をしていないわき水でコーヒーを飲ませているという情報が寄せられました。

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一瞬、やはりここでも妬みと取られらるような情報を流す人がいるものだと思いました。
反面、これほどまでに評判のわき水コーヒーになっているのだと知り嬉しくも思いました。

ある時、一流ホテルのレストランが提供するエビや肉などの産地を偽装して出していることがマスコミで報じられました。

DSC00066 NHKテレビ「昼どき日本列島」に紹介されました。→







弊社は、それ以来、26項目の水の検査に合格している旨の検査表をパンフレットなどに紹介するようしたのです。
これ以来、さらに仙人堂のわき水コーヒーの価値、知名度がアップとなり行列ができるようになりました。

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情報発信することの大切さ、わき水コーヒーからも教えられました。

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芳賀由也

【連載シリーズ其の4】 なぜ仙人堂わき水コーヒーに行列ができるのか

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連載シリーズその4「地図にも観光雑誌にも紹介されていない仙人堂だったが…」

仙人堂の歴史は素晴らしいものがありますが、観光雑誌や地図にも載っていませんでした。
ところが、その仙人堂に上陸し、わき水コーヒーを案内すると、「コーヒーを飲ませるためにここに上陸させたのか」 というクレームのようなことがお客様から寄せられ旅行エージェントの添乗員報告にその旨が 指摘されていたことを企画担当者から電話が入るものでした。

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一方、「暑いときは、なぜ冷たいものがないのか、寒い時は、あったかい物を扱っていないのか」とクレームのような声が多くありました。 その度に、発泡スチロールの箱にアイスクリームを入れて売っていたことを昨日のように思い出します。

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↑イラスト 滝谷節雄

芭蕉から以心伝心となって私に教えてくれた仙人堂わき水コーヒーが今このようにいろいろな経過から全国区に躍り出ようとは…。

やはり、成功、失敗に関わらず、信念を持って先に進んだからこそ、 多くの人たちに愛されるわき水コーヒーになったのだと思います。

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※それでは、なぜこんなにも受けるようになったのだろうか、
 次回その5をお楽しみ下さい。


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芳賀由也

なぜ仙人堂にこれほどまでに執着するのか 其の4

―旅のキーポイントは、あの頃を思い起こさせる演出が大切だ。―
連載シリーズその4「辛い日々が夢・希望に変わっていった」

社長・女性・男性 手の空いているものが、1本の鍬を持って船でしか行けない荒れ果てた場所に飛び込んでいったときのことは、 今でも忘れることができません。
それはただ勇気が必要でした。
まさに開墾作業と言っても過言ではありませんでした。

写真を是非ご覧下さい。
・竹の根を弱られるための作業(焼いて根を弱らせてから掘り起こす)

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・竹の根を掘り起こす作業

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・一方、茅(かや)を取り除く作業

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だが、疲れきって川辺りの河川に空を仰ぎ寝こんでいた時、 夢が湧いてきました。ここにいろいろな花を咲かせたら仙人堂に訪れる人々はどんなにか 喜んでくれるだろうと考えるようになりました。

辛い日々が忘れていき、何故か不可能なことはないと信じ込み、 むしろやる気が出た瞬間でした。

※最初にどんな花を咲かせたのか
 次回(その4)にご期待下さい。


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芳賀由也

なぜ仙人堂にこれほどまでに執着するのか 其の3

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↑イラスト 滝谷節雄

―旅のキーポイントは、あの頃を思い起こさせる演出が大切だ。―
連載シリーズその3「なぜこれだけの歴史が埋もれていたのか」


なかなか行政の賛同が得られないまま時間が過ぎていきました。焦る毎日でした。
ふと思いついたことは、東西の横綱である義経と芭蕉の仙人堂の歴史文化遺産の意義を強調することだと考えました。
その結果、ようやくご理解を頂き賛同を得たのです。
国土交通省に賛同書を添えた寄港申請が受理された時のうれしさは、今でも忘れられません。

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義経と最上川の関係は全く知られていません。
「仙人堂の歴史が復活し、参拝できるようになれば、 義経の存在が最上川に浮上する。その結果、芭蕉・義経・最上川の関係が新しい観光に発展してくと、 ご理解されたからこそ、寄港許可を得ることができたのです。」

参考までに仙人堂の歴史・文学について説明します。

歴史・文学①

仙人堂の歴史を知ることが最上川を楽しくする。
仙人堂は、義経一行の常陸坊海尊が約800年前建設したと言われています。
祭神は日本武尊とも、また、常陸坊海尊とも芭蕉が紀行文「奥の細道」に紹介している仙人堂で、まら板敷山と記したその山も、 仙人堂から川向こう真正面に見え、芭蕉上陸の場所でもあります。芭蕉がここで「さみだれをあつめて涼し最上川」を 「さみだれをあるめて早し最上川」と推こうした、画期的な場所としても注目されています。
また、「最上川」という文字が最初に文学に表れたのは「古今和歌集」の「最上川のぼれば下るいな舟の  いなにはあらずこの月ばかり」で、その絶景は、まさに仙人堂から見た眺めと推測されます。
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↑イラスト 滝谷節雄

歴史・文学②

時代こそ違うものの、東西の横綱義経と芭蕉のロマンの出会いの場所は仙人堂である。
義経は約800年前、芭蕉が舟から降りた清川(仙人堂から約8km下流)から帆かけ舟で最上川を逆上っています。
その白糸の滝を「最上川瀬々の岩波せきとめよ 寄らでぞ通る白糸の瀧」とその一行の北の方が詠んだことが 「義経紀」の中に記されています。一方、芭蕉は約300年前、義経追悼の想いを込めてみちのくに旅に出たのです。
もしかして、義経が最上川に来なかったならば、芭蕉も最上川に来なかったかもしれない。
つまり義経を語らずして芭蕉を語ることができないのです。
今、こうして義経と芭蕉の歴史的ロマンの出会いをした場所は仙人堂といっても決して過言ではありません。
時を越えた二人の出会いという歴史が、現代の車社会の人々を、数百年前の舟運時代にタイムスリップさせてくれるとことが、 海のように広く限りないほどのロマンを秘めている義経・芭蕉の仙人堂です。


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↑イラスト 滝谷節雄

※寄港許可を得ましたがそれからが辛い毎日でした。
 次回その4をお楽しみに!

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芳賀由也

【連載シリーズ其の3】 なぜ仙人堂わき水コーヒーに行列ができるのか

―旅のキーポイントは、あの頃を思いおこさせる演出が大切だ―

連載シリーズその3 「芭蕉の頃、その時代にコーヒーがあったなんて、、といいますが?」

日本のコーヒー史には、約300年前の1690年頃にオランダ人が長崎の出島で日本人にコーヒーを供したと記されています。
ところが芭蕉が奥の細道の旅に出たのは、元禄2年西暦1689年です。
時代的にはピッタリ合います。芭蕉はその頃江戸にいたと想像できます。江戸には情報が早く入ってきます。文化人なので各分野の人の交流も多く、お茶会などにもよく出ていたに違いありません。

ある時「芭蕉さん、日本に珍しい飲み物が入ってきましたので一服おつけになってはいかがですか」と勧められてもおかしくありません。むしろ自然です。
芭蕉はコーヒーを飲んでとても美味しかったのだと想像できます。
コーヒー豆は腐りにくく旅先に持っていけます。
こうして芭蕉は仙人堂で、今も昔も変わらない美味しいわき水コーヒーを、縁の下でリッチに飲んだといっても決しておかしくない推理です。

―と説明して以来、仙人堂の名物はわき水コーヒーとなって全国に伝わっていきました。 誰でも、仙人堂でわき水コーヒーを飲みながら最上川の流れを見たならば、きっと新しい発想が湧いてくと思います。私はそれを「仙人堂的発想」と呼んでいます。

芭蕉は、仙人堂のまろやかなわき水で入れたコーヒーの味を楽しみながら疲れを癒し、生命力の原点である水の大切さを噛み締めていたのかもしれません。

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「おそらく芭蕉は、仙人堂を訪れる人に一杯のコーヒーを通して水、つまり自然環境保護の大切さを教えてくれ」と私に以心伝心となって伝わったからこそわき水コーヒーの誕生になったのです。

日本で自然環境保護を最初に問いかけた人は、芭蕉なのかもしれませんね。

皆様方は果たしてどのようにお考えですか?

今、そのロマンが仙人堂で長い行列となって始まっているのです。 だが、この推理が支持されていたものの、さらに今日、不動のロマンを与えるまでは紆余曲折があったのです。

※次回その4をお楽しみに!

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芳賀由也

なぜ仙人堂にこれほどまでに執着するのか 其の2

―旅のキーポイントは、あの頃を思いおこされる演出が大切だ―

連載シリーズその2 「行政の許可を得ることの難しさ」

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仙人堂周辺の江戸時代に書いた絵図(弊社はこの場所を案内)

私は、少年時代、母親から「素直で地域に役立つ人になれ」と口癖のように言われてきました。少年時代を過ごした最上川が、自分を育ててくれたと思っています。
運輸省東北運輸局長(現・国土交通省東北運輸局)から運船許可を得なければなりません。とにかく許可を得るには非常に厳しいものがあります。

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↑イラスト 滝谷節雄

ようやく許可を得た時でした。
最上川で事業を営むことは、”一企業というのみの考えではなく、半官半民のつもりでソフト面でも地域に寄与しなければという条件”で許可がおりました。

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このような背景があったからだと思います。
700万円というこれだけの予算をかけたにも関わらず、活用されていないのは税金の無駄使いに過ぎないと考えたからです。

しかし、営利が伴う場合、仙人堂に寄港し上陸するには勝手にできません。海上運送法に基づいて、国土交通省新潟運輸局(当時)に寄港申請書を提出し、許可を得なければんなりません。
ですが、過去の諸々の状況がありましたので、簡単には寄港申請はできませんでした。

申請が長い間保留された後、ようやく申請が認められましたが、その前提として最寄りの各行政等の賛同書がなければいけないという事でした。
一度、過去に何かがあると、後者がやる気を出してもすんなり認められるものではありませんでした。

いくら大きな観光資源の要素を含んでいたとしても、弊社は民間企業のため、なかなか行政の賛同印は得ることができませんでした。
ただ、仙人堂の歴史的文化遺産の価値を長時間かけて各行政に説明していくしかありませんでした。

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※それでは仙人堂の歴史的文化遺産とは、次回シリーズ3をお楽しみに!

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芳賀由也