トップページ > 義経・芭蕉ゆかりの最上川 > 義経と最上川の紙芝居

源義経たちが、兄頼朝の怒りにふれ、奥州平泉(岩手県)藤原秀衡をたより逃れる途中庄内から内陸を通った。

義経一行は、羽黒山から最上川へ行き清川から舟に帆をはり川をさかのぼっていった。

弁慶は途中あやしい人影をめがけて石を投げ、その石がめりこんで残っている不思議な「弁慶のつぶ手石」などがある。

弁慶と一緒に来た義経の家来の一人常陸坊海尊は、仙人堂の地で義経たちが体を休めた後別れ、そこに仙人堂を建て、終生こもって修行をした。

海尊は仙人堂内にある天狗の面や下駄をはき、体をきたえるために木から木へと跳びまわったという。もしかして、烏天狗の発祥の地は仙人堂かも知れない。

常陸坊海尊は、心をみがくために、最上峡に多くある滝にうたれ、いつも修行を重ねていた。そして義経を追ってくる者をここで防いだといわれている。

それから約500年後、つまり今から約300年前の元禄2年松尾芭蕉は曽良を伴い最上川を舟で下り、仙人堂に参拝のため舟からおりた。芭蕉の旅は、義経の足跡を訪ねる旅だった。

芭蕉と曽良は、参拝後、仙人堂から見える板敷山とすばらしい最上川の景観をながめた。

紀行文「奥の細道」に”白糸の滝は青葉のひまひまにおちて、仙人堂、岸にのぞみて立つ・・・”「五月雨をあつめて早し最上川」と詠んだ場所は仙人堂だと最近いわれている。