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なぜ仙人堂にこれほどまでに執着するのか

―旅のキーポイントは、あの頃を思いおこさせる演出が大切だ―
連載シリーズその1

 

 

 

私は、平成26年(2014)年末まで船上でマイクを持って60分のガイドを4万回達成しました。

 

仙人堂の歴史を蘇らせようと1本の鍬を持って雑草の中に飛び込んていく前(平成元年前)までは船上で、次のように案内をしていました。
「左手をご覧下さい。源義経の従者常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)が800年前建設した仙人堂です。
そして、NHK大河ドラマ「義経」(昭和41年)でもナレーションで紹介されました。芭蕉の旅は義経の足跡を訪ねる旅でもありました。また芭蕉の紀行文「奥の細道」にも紹介されています。」

 

 

 

 

だが、私の頭の中には、なぜ船から降りて参拝できないのかといつも疑問を持ちながらの説明でした。
そんな時、ある新聞報道が目に入ったのです。

 

 

もう一方の舟下り会社が最初に行っていたのですが、仙人堂に上陸すると乗客の回転が悪くなるということで、寄港をやめてしまったとの報道でした。
戸沢村が昭和49年50年に約700万円をかけて造成したにも関わらず、活用されていないということを新聞を見て知りました。そして、戸沢村と観光協会からなんとかやってくれと(ボランティア)と強い要請があり、平成元年の「奥の細道紀行300年」から整備すると決断したのです。

 

だが、それから辛い日々が続いていったのでした。

 

※シリーズその2をご覧下さい。

 

最上川船下り義経ロマン観光
芳賀由也

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