【連載シリーズ其の3】 なぜ仙人堂わき水コーヒーに行列ができるのか
―旅のキーポイントは、あの頃を思いおこさせる演出が大切だ―
連載シリーズその3 「芭蕉の頃、その時代にコーヒーがあったなんて、、といいますが?」
日本のコーヒー史には、約300年前の1690年頃にオランダ人が長崎の出島で日本人にコーヒーを供したと記されています。
ところが芭蕉が奥の細道の旅に出たのは、元禄2年西暦1689年です。
時代的にはピッタリ合います。芭蕉はその頃江戸にいたと想像できます。江戸には情報が早く入ってきます。文化人なので各分野の人の交流も多く、お茶会などにもよく出ていたに違いありません。
ある時「芭蕉さん、日本に珍しい飲み物が入ってきましたので一服おつけになってはいかがですか」と勧められてもおかしくありません。むしろ自然です。
芭蕉はコーヒーを飲んでとても美味しかったのだと想像できます。
コーヒー豆は腐りにくく旅先に持っていけます。
こうして芭蕉は仙人堂で、今も昔も変わらない美味しいわき水コーヒーを、縁の下でリッチに飲んだといっても決しておかしくない推理です。
―と説明して以来、仙人堂の名物はわき水コーヒーとなって全国に伝わっていきました。
誰でも、仙人堂でわき水コーヒーを飲みながら最上川の流れを見たならば、きっと新しい発想が湧いてくと思います。私はそれを「仙人堂的発想」と呼んでいます。
芭蕉は、仙人堂のまろやかなわき水で入れたコーヒーの味を楽しみながら疲れを癒し、生命力の原点である水の大切さを噛み締めていたのかもしれません。
「おそらく芭蕉は、仙人堂を訪れる人に一杯のコーヒーを通して水、つまり自然環境保護の大切さを教えてくれ」と私に以心伝心となって伝わったからこそわき水コーヒーの誕生になったのです。
日本で自然環境保護を最初に問いかけた人は、芭蕉なのかもしれませんね。
皆様方は果たしてどのようにお考えですか?
今、そのロマンが仙人堂で長い行列となって始まっているのです。
だが、この推理が支持されていたものの、さらに今日、不動のロマンを与えるまでは紆余曲折があったのです。
※次回その4をお楽しみに!
最上川船下り義経ロマン観光
芳賀由也